四葉の日記

カサンドラ症候群の四葉のブログです。

発達障がい者の就労支援セミナー

先日、標記のセミナーに参加してきた。

仕事の一環として参加させて貰った。職権乱用バンザイ。

ただ、質疑応答の時に、聞きたかった事があったのだけど、どうしても手を挙げることが出来なかった。私の肩書きは私だけのものじゃないから。質問の際に皆さん「支援センター○○の山田です」と名乗っていたから、私だけ名乗らないのも良くないし、障がい支援の世界は狭いので顔見知りは沢山いて、名乗らなくても分かってしまう。

肩書きを言えば。え?なんで来てるの?、え?なんで貴重な時間なのに質問してるの?、と思う人もいるのが現実。とても悩んだが、私一人の好き勝手は出来ないなぁと思った。

 

最近、主人が仕事のストレスや疲れがひどいらしく、荒れている。私は直でその影響を受けるし、被害を受けるので、私も精神的に追い詰められる。

いや、危うく、本気で、命を断とうとした。

疲れてしまった。

それだけが原因ではなく、直属の上司との関係にも悩んでいて、自分で気づかないうちに、数ヶ月、かなり無理をしてたようだ。

よく考えたら、ここ数ヶ月顎が痛い。毎日歯を食いしばっていたらしい。

仕事も家庭も、上手くいかないと、八方塞がりだ。

 

私が質問したかったのは、

感覚統合が苦手な発達障がい者の中には、自身の疲れやストレスに気づき辛く、グッタリしているにも関わらず、疲れているのではと指摘をしても、全然疲れてないと言う。しかし確実にそれは積み重なって、突然爆発する原因になって行くと思う。そんな時はどんな声掛けやアプローチが効果的か。

どこかで、機会があったら今度こそ聞いてみよう。

 

生きる事について、容易く死ぬなとか、粗末にするなと言う人がいる。

その人に聞きたい。あなたは、涙や鼻水でしょっぱくなったご飯を食べた事ありますか?

容易く死のうなんてしていない。

あなたように容易い人生でない人間もいるのだ。

辛いことが頻発する人生を歩んだ事がない人に、容易く否定されたくない。

それでも、必死で、もがいてもがいて、耐えて耐えて、生き延びているのだ。粗末になんかしていない。死に物狂いで守ろうとしている。

それを続ける事はとても辛く、エネルギーが必要だ。ゴールのないマラソンを走り続けている。そんな必死な人間に、そんな説教をするのはやめて欲しい。少なくとも、少しでも必死にがむしゃらに生きた人なら、そんな安易な説教は出来ないはずだと思う。

支援者の立場と家族の立場

私は、支援者であり、当事者の家族でもある。

結構障がいの支援者の中では、珍しくない。と思う。

でも、それってなかなか難しいと最近特にヒシヒシと感じる。

何故って、感情と、理解の狭間で、グチャグチャになりそうになるのだ。

支援者としての私は、主人が出来ないこと、苦手なことはすぐ分かるから、仕方ないと感じる。

一方、家族としての私は、仕方ないでは済ませられない。なんで私ばっかり!になるのだ。

 

主人にとって、外で仕事をしてくる、それだけで大きなストレスであり、疲労感が大きいのだ。だから仕方ない。我慢して家事は全部私がやろう。。。

それを続けていたら、私って何のためにここにいるの?支援のため?家政婦?虚しくなる。

 

主婦の労働への対価は、夫の評価や愛情だとドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で言っていた。

さて、私は正直、何も対価は貰っていない。仕事はちゃんとお給料を貰える。でも家庭では、全て自分で背負っても、誰も評価してくれない。

もちろん、これまでの教育の成果か、主人は「ありがとう」を言えるようになった。しかし、こちらが要求せねば言ってはくれない。

主人は、私がどんな言葉が欲しいか分からないんだもん。

そのくらい普通に考えたら分かるでしょ〜!と家族としての私は思う。それが分からないのが発達障がいなんです!と支援者としての私は反論する。

毎日、その延々押し問答だ。

講演会

今日、発達障がいの理解促進の為の講演会に参加してきた。

実際に長年支援をして来た方がみえて、ユーモアたっぷりに話をして下さった。とても有意義な時間だった。

 

発達障がいは、あくまで、少数派だから、生きづらさがあるのだ。多数派の定型発達の人達に理解されない、受け入れて貰えない、何か違和感がある。それが逆転したらどうだろうか?

定型発達の人達の人数が、非定型発達の人達の人数より少なければ?

定型発達と言われる人達が、発達障がいと言われるようになる。周りと違うから。

不思議な話だ。

 

障がい者は、本人が生きづらさや困り感がなければ、障がい者ではない。生きる上で障害があるから障がいの方が、障がい者となるのだ。

 

発達障がいの方々には、周りの無理解が生きていく上で、障害になる。周りの人間が理解をしてくれれば、なんの生きづらさも、困り感もなくなる。ある意味、周囲が努力すれば、何とかなる障がいだ。

 

学べば学ぶほど、色んな発見がある。

それが発達障がいだと思った。

アスペルガーは天才

あの偉人はアスペルガーだった…と、あちこちで話題になる。

神は二物を与えずなのか、アスペルガーだから偏って天才になるのか、なんなのか。

うちの主人もかなり天才肌だ。

どこが…ってはっきり言えないのだが、誰もが一目を置く。ただ、何を言っているか分からない時が多い。表現力の問題か?

美的センスにも秀でている。

私はきっとアスペルガーのそんな主人に惹かれたのだ。

 

ただ、たまに「そんなアスペルガーだからこそ好きになったんじゃないの?」と言われる事がある。事実なのだが、それを人から言われるのはとても嫌な気分になる。まるで「自分の責任でしょう?」と言われているように感じる。そして、そういう事を言う人は、アスペルガーの事をちゃんと理解しておらず、ネットか本で得た情報をただ知ったようなフリで言っている人が多いから、更に嫌な気分になる。苦しみを訴えても、跳ね除けられたような気持ちになる。

 

最近は、かなり発達障がいが世間に広く理解されて来ているが、まだまだカサンドラの事を知る人は少ない。

2ヶ月くらい前に、朝の情報番組「スッキリ」で三日間に渡り発達障がいについて特集していて、最終日はカサンドラ症候群についてだった。こうして知ってもらえる機会がとても嬉しかった。これからも少しずつでも構わないから認知度が上がりますように。

 

ひとつ気をつけないといけないのは、アスペルガーの人は、その人だけしか分からない理論の中で物事を考える。それにどんな偏りがあっても、本人にとってはそれは曲げられない。

主人と政治の話や、外交の話、政治家のお金の問題の話をするとすごくストレスが溜まる。なんて危険な思想の持ち主なのかと恐怖を感じるからだ。社会性の無さがこういう思考を生むんだろうなぁ…。私は比較的、口が立ってしまうので、お互い一歩も譲らない。

最近は、その危険な思想をなんとかしようと話していても意味がなくて、私のストレスが溜まるだけだと分かっているので、話を早めに別のすり替えるようにしている。

どれだけ間違っている主張をしていようと、それを、否定するとかは無意味に近いと思う。もちろん、その思いの強弱によっては、柔軟に対応してくれるかもしれないが。

本人には本人の世界があり、誰にも侵されたくない領域がある。それを否定されることは本人にとってとてもストレスがかかる。本人が本人の理論によって、導き出した答えを全面的に否定されるのは、本人を全否定されているのと同じ感覚なんだと思う。

そうか、そういう風に感じるんだね。

そう言うだけで良いんだろう。

 

でも!これは支援者だと出来る事である。

家族間、親しい間柄ではなかなか難しい。

だから、逃げるのだ。

他の話にすり替えるのだ。

 

 

幸せだなぁと感じる時って?

先日、仕事の出張予定があり、参加できないはずだった自助グループに、出張が急遽キャンセルになり、休みが取れて、参加してきた。

 

年度をまたいだ為、4ヶ月ぶりの開催。

 

それぞれが状況も変わっているだろうから、報告をした。

自助グループに参加すると、比較的皆さん、少し心が楽になるようで、ほぼ顔見知り。久しぶりに一名初参加の方がみえたり

 

今回は全員が「いま話したい事」または「みんなに聞いてみたい事」を好きに紙に書いて、ランダムで順番に話し合って行くという物があった。

その中で、一人の方が、「皆さんたくさん辛い思いをしているのに別れを選択しない。もちろん子供さんや金銭面などで別れられないという事もあるかもしれないが、やっぱり、幸せだなと感じる事もあるからではないかと思って、皆さんが幸せだなと感じる時ってどんな時ですか?」と質問をした。

これって、これまでにない見方だと思った。

こんな事があった、辛かった、こんな悩みがある、こういう時どういう対処をすれば良いか、そんな話題しかこれまでは上がっておらず、どちらかと言うとネガティブな事が上がっていた。

でも、改めて、幸せだと感じる時を振り返るというのは、とても大事な事だと思った。

嫌だ嫌だと思いながら生きればどんどん落ち込むが、幸せを拾い集めれば幸せに生きる事が出来る気がする。

それぞれが、夫への愛や、感謝を振り返った。

 

私は、主人からの愛情を確信している事だと答えた。

色々あるが、常に私の事を考え優先しようとしてくれる。特性が出てくると、自分勝手になり、私の事をひどく傷つけてばかりだけど、それは主人にはコントロール出来ないものである。

主人は恐らく、私を失ったら廃人になると真剣に思っている。お互いの心の距離が近いからこそ揉め事が多く大きくなってしまうだが、お互い愛情があるからこそだと思う。

具体的にこうして振り返ると、私は、幸せだなぁと感じた。もちろん、その倍も辛いことはあるけれど、ここまで旦那さんに愛される女性はいるかと考えたらそんなに多くはないと思う。

 

ぜひ、一度考えてほしい。

幸せだなぁと感じる瞬間はどんな時ですか?

どうして離婚をしないのですか?

 

自分の行動を評価しない

先月、支援センターへ相談へ行ってきた。

私の住んでいる地域では、発達障害者支援センターで配偶者の相談にものってくれる。

 

ゴールデンウィークで疲れ切っていて、時々泣きながら「疲れた…」と訴えた。

いつもPDCAサイクルを回してるんです。

本を読んで、色々考えて、対応してるんです。

その対応を振り返って、あの言い方が良くなかったのかもしれない、これからはこうしよう。あの行動が主人の癇に障ったのか…じゃあこうしよう。あぁ失敗した…分かってたのに。みたいな感じで。いつもいつも考えてやってるんです。だから前に比べたら揉めることは減ったし、いい距離感も取れるようになりました。でも、疲れました。頑張ってるんです。いつもいつも。

私の気が済むまで話を聞いてくれて、具体的にアドバイスをしてくれる。

今回、言われたのが、

自分の行動を評価しない方が良いですよ。

だってちゃんと考えて、頑張ったんだから、間違いとか失敗なんて思わなくて良いんです。

だった。

 

ただただ、ふーん。それで良いんですよ。

ご主人の反応が悪かったり、四葉さんの行動でご主人が怒っても、ふーん、嫌だったんだーへー。それだけ。

あーしまった!じゃなくて、ふーん。

でも、良かったことは評価してください。成功した!良かった!正解だった!ってちゃんと評価してください。

 

私、思い切り、PDCAしてました(笑)

 

ふーん。

意識してやってみよう。

 

お金のこと

うちの主人は貧乏性だった。

私も貧乏性なのでお互いちょうど良かったのだが…

実はここ数ヶ月、主人が持っているクレジットカードの請求がまぁまぁな金額だった。現金お小遣いも渡しているので、トータル毎月13万ほど使い込んでいる。

しかし、頭ごなしに注意してキレられても嫌だ。ストレス発散が買い物だと感じていたので、それを取り上げてストレス溜めて爆発も困る。しかし、言わねば…。

その葛藤で何ヶ月も私のストレスだった。

アスペルガーの人に物事を伝えるには、タイミングを見計らうのが重要だ。伝えた事を受け入れる余裕があるのか、いまはそのタイミングなのか。他の事に気を取られていないか。

そして伝え方も大事で、感情的になってはいけない。怒ってしまうと「怒っている」という事しか集中できず、内容が一切入らないため、何か分からないけどとにかく一方的にキレられた!と感じるらしい。

 

半年ほど悩みあぐねたが、このまま野放しにしたらうちの家計は火の車になるので、言った。

「ここ数ヶ月、請求金額がかなり高いの。何か買ってる?いまはうちは私も転職して収入は半分になったし、引っ越しで家賃もかなり掛かるようになったし、ちょっと苦しいのが現状だから心配になった。あまり言ってストレスになってもいけないと思って、そのままにしてたけど、あまりに長くこの状態が続いてるから伝えるね」

主人

「そうか…気をつけます。なんだろう…。今月はカメラのレンズ買ったからかなぁ。」

「いくらだったの?」

主人「3万円弱」

いや…明らかにもっと使ってるんですけど…。しかし、窮鼠猫を噛むじゃないが、男性は追い詰めすぎてはいけない。男性には常に逃げ場を作っておいてあげなさいと前の職場の人に言われていたので、ツッコミはせず、

「そうか、これからは気をつけてくれるとありがたい」

主人「カメラのレンズは自分のお金出すよ、勝手に買ったし」

と、独身時代の貯金から三万円を出してきた。

「いいの?そんなつもりで言ったんじゃなくて、今後気をつけて欲しいから言ったんだよ。じゃあ本当に貰っていいのね。通帳に入れておくからね、ありがとう」

と、足りないよ!なんて言わずにありがたく受け取りました。

 

今回はきっと、いいタイミングだったんだろうと思う。