四葉の日記

カサンドラ症候群の四葉のブログです。

主人の料理

主人は料理が好きだ。

とは言え、いつも作る訳でない。気が向いたら。そしてそれを写真に収め、インスタグラムに投稿するのが好きらしい。褒められたいんだと思う。今時の若者だ。

料理をしてくれる良い旦那様って言われたりしてるんだろうなぁ…全然作らないけどな!と思いながら見ている。

 

最近、私が体調を崩し、寝込んでいる。

本気で悩んでいるのは今年、寝込みまくっている。そろそろ死期が近い?レベル。仕事も続けられる?と心配なる。今回もまた実家に帰って静養する事になるかも。

 

そんな中、仕事に行っている主人にメールにて、熱がある。暑い…自分の熱でとにかく暑い…。と送ったら、珍しく、

「何か買って行こうか?」と。

ありがたいのだけど、ダルさで何も思いつかない。晩御飯の事を言っているのだろうと思ったので、

「私が好きそうで、美味しいもの。スイーツ以外。消化にあんまり負担かからない物。」

と送った。

まぁ…分からないだろうなぁ…困るだろうなぁ…。

そして買い物をして帰宅して料理を開始した主人。

「へい、おまち!」と呼ばれて出てきた物。

 

 

酢豚

 

うん。なかなかのチョイスっぷり。

予想外。

体調不良の人間に酢豚!

正確に言うと、酢鶏。唐揚げを買ってきて、時短料理にした。うん。それは賢い。

ありがたいよ。うん。美味しいものを食べさせようとしてくれたんだよね。(消化に負担を失念したんだね)

敢えて突っ込まず、美味しい美味しいと食べた。

そんな体調不良の妻の為に、料理してくれる旦那様なんてそうそういない。感謝。

 

しかし、それで終わらないのがアスペルガー(笑)

その後は疲れ切ったらしくて不機嫌!!!

あーあ。そこが惜しいのだ!

大切に思う人

私は、結構、大変な人生を歩んでいると思う。

なんとなく学校に行って、なんとなく恋人が出来て、なんとなく就職して、なんとなく仕事して、なんとなく結婚相手に巡り合って、なんとなく結婚して、なんとなく子供ができて、なんとなく家族を持って、なんとなく生きる。

隣の芝生は青く見えるのか?

私の人生に、なんとなくなんて言葉は1つもない。何もかもに、ハードなエピソードが付く。

もちろん見えないだけで、苦労してる人は沢山いるだろう。だけど、ここまで全てにおいて、ハードって、ちょっとキツイ。

神さま、私は、前世でとんでもない大罪を犯したのでしょうか?

本気でそう思っている。

長年の友人は、私の人生に何かあるたびに、「どうしてだろうね…なんだか…色々ありすぎるよね…」とボロボロになった私を目の前にして困っている。

 

ただ1つ、私は、比較的、周囲の人に恵まれていると思う。合わなかったり、キツく当たられるなんて事もあるけれど。誰も味方がいないなんて時はなかった。神さまは完全に私を痛めつけようとしている訳でないということかな。

でも何故か、そんな大切な仲間は、それぞれ、しんどい思いを抱えている事が多い。痛みを知る人は人の痛みも分かるからか?

 

私にとって、大切な人たちが、少しでも心安らかな時間を、過ごせますように。

頑張り過ぎないで、どうか笑顔で過ごせる時間が多からん事を祈っています。

頑張れなくなったら、逃げていい。

頑張れなくなったら、やめて良い。

もう十分、頑張っているんだから。

 

 

私の心の健康の為に。

先日、カサンドラ症候群自助グループに参加して来た。

お盆休み後、初の開催だったのだが、体調や心のバランスを崩している方がまぁまぁいた。私も含め(笑)

私は、主人と長期休暇を一緒に過ごすエネルギーは無いと判断して、世間がお盆休み中もあえて仕事に行ったので、お盆が原因ではないのが…。

カサンドラあるある、長期の休みは地獄だ。

いつもは仕事などで一緒に過ごす事がない配偶者が家にいて一緒に過ごす。

それがかなり心のエネルギーを消費する。

 

うちの主人は最近、疲れやストレスが溜まっており、かなり不機嫌度が高く、一緒にいると心を擦り減らしてしまう。

お陰で、少し前はひどい「うつ」状態に陥り、いま、立て直し時期だ。

ずっとお世話になっているカウンセラーの方に、「うつ消しごはん」という本を紹介されて、いまタンパク質を摂る努力をしている。鉄分のサプリも購入済み。

実はまだ本を手に入れておらず、明日辺りに届く予定。しっかり読んで実践しようと思っている。

復活したい時は何でもする!と、いつも決めている。復活したいと気力が出てきた事も喜ばしい。

発達障がい者の就労支援セミナー

先日、標記のセミナーに参加してきた。

仕事の一環として参加させて貰った。職権乱用バンザイ。

ただ、質疑応答の時に、聞きたかった事があったのだけど、どうしても手を挙げることが出来なかった。私の肩書きは私だけのものじゃないから。質問の際に皆さん「支援センター○○の山田です」と名乗っていたから、私だけ名乗らないのも良くないし、障がい支援の世界は狭いので顔見知りは沢山いて、名乗らなくても分かってしまう。

肩書きを言えば。え?なんで来てるの?、え?なんで貴重な時間なのに質問してるの?、と思う人もいるのが現実。とても悩んだが、私一人の好き勝手は出来ないなぁと思った。

 

最近、主人が仕事のストレスや疲れがひどいらしく、荒れている。私は直でその影響を受けるし、被害を受けるので、私も精神的に追い詰められる。

いや、危うく、本気で、命を断とうとした。

疲れてしまった。

それだけが原因ではなく、直属の上司との関係にも悩んでいて、自分で気づかないうちに、数ヶ月、かなり無理をしてたようだ。

よく考えたら、ここ数ヶ月顎が痛い。毎日歯を食いしばっていたらしい。

仕事も家庭も、上手くいかないと、八方塞がりだ。

 

私が質問したかったのは、

感覚統合が苦手な発達障がい者の中には、自身の疲れやストレスに気づき辛く、グッタリしているにも関わらず、疲れているのではと指摘をしても、全然疲れてないと言う。しかし確実にそれは積み重なって、突然爆発する原因になって行くと思う。そんな時はどんな声掛けやアプローチが効果的か。

どこかで、機会があったら今度こそ聞いてみよう。

 

生きる事について、容易く死ぬなとか、粗末にするなと言う人がいる。

その人に聞きたい。あなたは、涙や鼻水でしょっぱくなったご飯を食べた事ありますか?

容易く死のうなんてしていない。

あなたように容易い人生でない人間もいるのだ。

辛いことが頻発する人生を歩んだ事がない人に、容易く否定されたくない。

それでも、必死で、もがいてもがいて、耐えて耐えて、生き延びているのだ。粗末になんかしていない。死に物狂いで守ろうとしている。

それを続ける事はとても辛く、エネルギーが必要だ。ゴールのないマラソンを走り続けている。そんな必死な人間に、そんな説教をするのはやめて欲しい。少なくとも、少しでも必死にがむしゃらに生きた人なら、そんな安易な説教は出来ないはずだと思う。

支援者の立場と家族の立場

私は、支援者であり、当事者の家族でもある。

結構障がいの支援者の中では、珍しくない。と思う。

でも、それってなかなか難しいと最近特にヒシヒシと感じる。

何故って、感情と、理解の狭間で、グチャグチャになりそうになるのだ。

支援者としての私は、主人が出来ないこと、苦手なことはすぐ分かるから、仕方ないと感じる。

一方、家族としての私は、仕方ないでは済ませられない。なんで私ばっかり!になるのだ。

 

主人にとって、外で仕事をしてくる、それだけで大きなストレスであり、疲労感が大きいのだ。だから仕方ない。我慢して家事は全部私がやろう。。。

それを続けていたら、私って何のためにここにいるの?支援のため?家政婦?虚しくなる。

 

主婦の労働への対価は、夫の評価や愛情だとドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で言っていた。

さて、私は正直、何も対価は貰っていない。仕事はちゃんとお給料を貰える。でも家庭では、全て自分で背負っても、誰も評価してくれない。

もちろん、これまでの教育の成果か、主人は「ありがとう」を言えるようになった。しかし、こちらが要求せねば言ってはくれない。

主人は、私がどんな言葉が欲しいか分からないんだもん。

そのくらい普通に考えたら分かるでしょ〜!と家族としての私は思う。それが分からないのが発達障がいなんです!と支援者としての私は反論する。

毎日、その延々押し問答だ。

講演会

今日、発達障がいの理解促進の為の講演会に参加してきた。

実際に長年支援をして来た方がみえて、ユーモアたっぷりに話をして下さった。とても有意義な時間だった。

 

発達障がいは、あくまで、少数派だから、生きづらさがあるのだ。多数派の定型発達の人達に理解されない、受け入れて貰えない、何か違和感がある。それが逆転したらどうだろうか?

定型発達の人達の人数が、非定型発達の人達の人数より少なければ?

定型発達と言われる人達が、発達障がいと言われるようになる。周りと違うから。

不思議な話だ。

 

障がい者は、本人が生きづらさや困り感がなければ、障がい者ではない。生きる上で障害があるから障がいの方が、障がい者となるのだ。

 

発達障がいの方々には、周りの無理解が生きていく上で、障害になる。周りの人間が理解をしてくれれば、なんの生きづらさも、困り感もなくなる。ある意味、周囲が努力すれば、何とかなる障がいだ。

 

学べば学ぶほど、色んな発見がある。

それが発達障がいだと思った。

アスペルガーは天才

あの偉人はアスペルガーだった…と、あちこちで話題になる。

神は二物を与えずなのか、アスペルガーだから偏って天才になるのか、なんなのか。

うちの主人もかなり天才肌だ。

どこが…ってはっきり言えないのだが、誰もが一目を置く。ただ、何を言っているか分からない時が多い。表現力の問題か?

美的センスにも秀でている。

私はきっとアスペルガーのそんな主人に惹かれたのだ。

 

ただ、たまに「そんなアスペルガーだからこそ好きになったんじゃないの?」と言われる事がある。事実なのだが、それを人から言われるのはとても嫌な気分になる。まるで「自分の責任でしょう?」と言われているように感じる。そして、そういう事を言う人は、アスペルガーの事をちゃんと理解しておらず、ネットか本で得た情報をただ知ったようなフリで言っている人が多いから、更に嫌な気分になる。苦しみを訴えても、跳ね除けられたような気持ちになる。

 

最近は、かなり発達障がいが世間に広く理解されて来ているが、まだまだカサンドラの事を知る人は少ない。

2ヶ月くらい前に、朝の情報番組「スッキリ」で三日間に渡り発達障がいについて特集していて、最終日はカサンドラ症候群についてだった。こうして知ってもらえる機会がとても嬉しかった。これからも少しずつでも構わないから認知度が上がりますように。

 

ひとつ気をつけないといけないのは、アスペルガーの人は、その人だけしか分からない理論の中で物事を考える。それにどんな偏りがあっても、本人にとってはそれは曲げられない。

主人と政治の話や、外交の話、政治家のお金の問題の話をするとすごくストレスが溜まる。なんて危険な思想の持ち主なのかと恐怖を感じるからだ。社会性の無さがこういう思考を生むんだろうなぁ…。私は比較的、口が立ってしまうので、お互い一歩も譲らない。

最近は、その危険な思想をなんとかしようと話していても意味がなくて、私のストレスが溜まるだけだと分かっているので、話を早めに別のすり替えるようにしている。

どれだけ間違っている主張をしていようと、それを、否定するとかは無意味に近いと思う。もちろん、その思いの強弱によっては、柔軟に対応してくれるかもしれないが。

本人には本人の世界があり、誰にも侵されたくない領域がある。それを否定されることは本人にとってとてもストレスがかかる。本人が本人の理論によって、導き出した答えを全面的に否定されるのは、本人を全否定されているのと同じ感覚なんだと思う。

そうか、そういう風に感じるんだね。

そう言うだけで良いんだろう。

 

でも!これは支援者だと出来る事である。

家族間、親しい間柄ではなかなか難しい。

だから、逃げるのだ。

他の話にすり替えるのだ。