トラウマについて 死の受容
今日は、私のトラウマについて書こうと思う。
これは昨年判明した私のトラウマの話だ。
私が小学校低学年の時に、母方の祖父が亡くなった。
末っ子で甘えん坊だった私は、短いきかんだったが、一緒に住んでいた祖父にもよく懐いていて、大好きだった。祖父も私を可愛がってくれていたと思う。
ある日、祖父は入院をして、突然家からいなくなった。そして数ヶ月後のある朝起きると、母がおらず、私の兄か姉から
「おじいちゃん死んだんだって」と聞かされた。
訳も分からないまま、通夜葬儀に連れて行かれた。母が泣いていた。初めて母がなく姿を見て悲しくなった。
「最後にお顔を見てあげて」とお花を渡されて、素直にお花を持って棺に近づいた。
いつもニコニコ、持病で浮腫みがちで少し丸顔、頬がピンク色でピカピカしていたはずの祖父。ところが、そこに収まる小さな祖父の姿は、まるでミイラのように痩せこけた姿だった。
怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。
でも、怖いなんて言ってはいけないと子供心に分かった。我慢をした。
それから、私は葬儀などで、お顔を見てあげて下さいという時間が苦手になった。
「お顔を見てあげて下さい」
「綺麗なお顔ですね」
そんなやり取りが大嫌いだった。
一体何のために?死者の顔を見てどうするのか?
死者も見られたいのだろうか?
死は死でしかなく、綺麗なお顔なんてお世辞を言ってどうしたいのだろうか?
昨年、主人の親戚の葬儀に参列し、その夜に、この話を初めて主人にした。
初めて祖父の死で泣いた。
怖かった。大好きだったのに。怖いと思ってしまった。大好きだったのに。
私は祖父とお別れをせぬまま、ここまで来てしまったのだと気づいた。
同居はしたものの、母には、祖父との間に確執があった。それが理由かは分からないが、祖父の入院先に、私達を連れていく事は無かった。
今思えば、ちゃんとお見舞いに連れて行ってくれていたら、少しずつ弱る祖父を見て、死の受容が出来たのではないか?と考える。
少なくとも、ピカピカ頬のおじいちゃんが、突然ミイラのようになってしまった…なんて事は無かっただろう。
死に目に会わせることも、やはり死の受容には重要な儀式だと思う。最後に想いを伝えられたかどうかは、やはり大きい。
私は、大人になるまで、ずっとこのトラウマを抱えたまま、祖父にお別れができぬまま来てしまった。
心の発達の為にも、子供には特に、身近な人の死を受け入れられるような、お別れを作ってあげるべきだと思う。