私が決めないといけないの?
主人と話し合いをしても、全く本心を教えてくれず、もう手詰まりとなり、義母に、話を聞いてもらうように依頼した。
義実家と私の関係は良好で、一人で遊びに行ったりするような関係だ。
そして、今日また、義母と電話で話した。
主人に電話をしても出ず、留守電に折り返し待っていると入れても掛かって来ない。たぶん…この話だと本人は分かっていても、親にとやかく言われるのが嫌で、逃げていると思う。ということだった。
義母に言われたのは以下の通り、
これまでも色々あって、話を聞いていると、モラハラではないかと心配している。親戚にモラハラで離婚した女の子がいて、同じ感じがする。
夫婦は、どちらかが過度に無理をしたり我慢をして過ごすものではない。
だから、正直、二人ともが精神科にお世話になるように前に、別れた方が良いのではないかと思っている。
モラハラで離婚した子は、いまは再婚して、あの頃が嘘のように、本当に幸せに暮らしている。
だから、四葉さんも、ちゃんと幸せになれる人を探した方が良いと思う。アパートから、荷物を引き上げたらどうか?
具体的に、アパートから荷物を引き上げるように言われて、かなりショックだった。
離婚を勧められるのは、これが初めてではない。数年前に、一度、私が限界を迎え、もう無理かもしれない…と相談に行った際に、
本当に良いお嫁さんだから、手放すのは辛いけれど、そんな状況じゃ四葉さん病気になっちゃう。だから別れて、四葉さんの幸せを考えてほしい。
と言われた。
本当にいよいよ、そうするしかない…という中で、なんとか自分の心を守りたいと思っている。とにかく、辛いなぁ。
「さようなら」の準備
もうダメかもしれないな…
何度も何度も思って来たけれど、今回は本当にいよいよダメかもしれない。
毎日、波があり、ひどい鬱状態になる日もあるけれど、少しずつ、覚悟が出来てる気がする。
「さようなら」をする覚悟だ。
*少しでも気持ちがあるうちは、決断はすべきではない。
*全ての手を尽くして、やり切ってからにしよう。
*鬱のときは、大きな選択は避ける。
あちこちで、見たり、聞いたりしたこと。
「でも、さようならを考えるから鬱になるのでは?と思うのですが…どうなんでしょう?」と、産業カウンセラーの人に聞いてみた。
すると、
「スマホのバッテリーも2〜3%になれば何も出来ない、心はそんな状態ではないでしょうか?
現状を棚上げしてエネルギーが少し回復するのを待つのはどうですか。どのような意思決定しても傷つくかも知れませので、それに耐えられるようにエネルギーを貯めておく。多分、メンタル不調時に急いで意思決定しないというのはそういうことではないかと思います。」
ということだった。
納得した。
遅々として進まない状況。
日々、すり減っていく心。
でも、昔より私は、少し強くなっていると感じる。仕事のおかげかもしれないが、鬱状態が毎日ではないからだ。
仕事に行けば、何事も無かったように、くだらない馬鹿話で、笑い合い、ニコニコ過ごしている。
以前私は、ニコニコ笑っている自分と、家で泣き続けている自分、本当がどっちなのか分からない。私は一体、誰なんだろうか。そうカウンセリングで話した事がある。
「人間は常に、白黒分けられる訳ではない。四葉さんは、白黒ハッキリ決着をつけないと落ち着かず、すぐに決着をつけたがる性格だと感じる。でも、全てのことは、どちらかというと、グレーな場合がほとんどで、その間で、人間は生きていかねばならない。まさに、笑っている自分と、泣いている自分、そのアンビバレントが存在する事に、不安になるのは、四葉さんの性格から来るもの。でも、それが普通で、それで良いんだと思えるようになると、少し楽になるのではないか。」
そう教えて貰って、かなり肩の荷が降りた。それで良いんだ、普通だと言われてホッとした。
そこもまた、強くなっていると感じている点。
いま、「さようなら」を前に、私は、呼吸を整えている。いつか来る、その時に、自分の心が壊れてしまわないように、静かに自分を保つ方法を模索している。
まだ模索中で、見つからない。
だけど「模索する」ことができている。
いまはそれで、良しとしようと思えている。
決して言ってはいけないこと
過去、夫婦不和で、実家に呼び出されて、主人が、実の両親に話していたこと。
「なんでも言って良いよと、四葉が言うから、素直に言ったら、大火事になった。」
これは、私が義母から聞かされたこと。
私には、ずっと、この意味が、分からなかった。
でも、今日気づいた。
人には、絶対に言ってはいけないことがある。
例えば、その人が、絶対に触れられたくないと思っていること。
例えば、その人の人格を、否定するようなこと。
私は、主人に絶対言わないと決めていることがある。
それは、主人が殺したいほど憎んでいる、主人の兄のこと。
兄にされて嫌だったこと、許せなかったことをいくつか聞いている。
でも主人は、それをやっている。
私は、絶対にそれを指摘しないでおこうと決めている。
それを指摘されたら、主人が、ひどく傷ついたり、主人が主人自身を嫌うだろうと分かっているから。
墓場まで持って行こうと決めている。
でも、きっと主人には、それが分からないんだろう。まさにASD(自閉症スペクトラム)、アスペルガーだ。
私に「何でも言って、ちゃんと言わないと分からない。」と言われて、その言葉をそのまま受け取り、発言してしまうのだろう。
そして、私は過呼吸になり「大火事」になるんだろう。
生きる覚悟と死ぬ覚悟
4年ほど前、鍼灸師の他に、カウンセラーもやっている…という人に、
「生きる覚悟も死ぬ覚悟も出来てない。
そんな生き方良くない。」
と言われた。
自分でも気付いていなかった自分を教えられた感じだった。
自分では、辛さや苦しさが突き抜けて、ハイに入ったのかなぁと思っていた。
こうして人は大人になるのかなぁとも思っていた。
まぁ、ある意味、ハイと言っても良いのかもしれない。
「神様はその人が乗り越えられる試練しか与えない」みたいな綺麗な言葉があるけれど、そんなのおかしいと思っている。ではなぜ自殺者が後を立たない?
世の中には、残念ながら、不公平しか存在しないのだ。
なんとなく生きてなんとなく幸せになって行く、そんな人も居れば、苦労に苦労を重ねても、報われない人も居る。
私は後者だと思っている。
これだけやっても、報われないのは、前世によっぽどの大罪を犯した以外、考えられないと真剣に考えている。
なぜ、こんな事を急に言い出したのかと言うと、昨年のブログで、主人が関東に単身赴任になり一人暮らしになったと書いたが…まさかの、急転直下、たったの5ヶ月で戻ってきてしまったのだ。
ゴールデンウィークに引っ越しをした。
一度、一人暮らしという楽な生活を満喫してしまった私には、再びジェットコースターのような生活は、かなり堪える。
いまは、ただ、淡々と生きる。
それだけだ。
感情のスイッチをオフにして、生きる。
スイッチをオンにすると、悲しい辛いが溢れ出してしまう。
きっといまも、私には、生きる覚悟も死ぬ覚悟も、両方とも出来ていないのだ。
「がんになって良かった」と言いたい
の著者、京大大学院工学研究科修士1回生の山口雄也さんが亡くなられた。一報を聞いた時。身体中が震えた。
私は、こんな覚悟のない自分を恥じる。あなたの強さ、尊敬しています。あなたはきっと、もがきながらも、生きる覚悟も死ぬ覚悟も、両方していたのではないだろうか。懸命に生きる為に。
心から、ご冥福をお祈りします。
メリークリスマス
12月から、主人が長期出張で、単身、関東へ行った。
恐らく一年ほどになると思われる。
すごく良い距離で、お互いにとってベストな形になったと感じる。
主人にとっては初めての一人暮らし。出発まで準備がギリギリの状態だった。
私が準備してあげられるものはしたが、他は本人に任せた。私が準備したものは、引っ越して数日間、無くては困るもののみ。トイレットペーパーとか。洗剤類。
何より、本人が納得の行かない事をされると、結局本人にとって大きなストレスになるからだ。
ストレスによる小爆発はあったものの、大きな事にはならずに出発してくれた。
元々、お互い仕事ですれ違い生活が多かったし、違和感はほぼない。唯一言えば、休日に誰とも会話せずに終わる時が多いかなというところだ。
マイペースで、心を掻き乱される事なく過ごせて、とても楽だ。
そんな中で、このコロナ禍、私の職場から年末年始の親戚の集まりも控えるようにと通達があった。年始は毎年主人の実家で集まっていたので、どうすべきか…というより、どう断るか…断って良いのか…と悩んだ。主人に相談したかったが、LINEなどでそういった相談は不安があり、保留にしていた。
代わりに弟嫁に連絡を取って、今回も通常通り集まるかどうか確認した。そして悩んでいる事も伝えた。数日後、弟嫁から、どうする事になった?と連絡が来て、ずっと保留も良くないと思い、主人にLINEした。
すると…。
振り返りたくないので割愛するが、何か主人の癇に障ったらしく、当てつけのような返信が来た。
私は深層心理で、こうなる事を予想して、あえて保留にしていた。弟嫁にこんな返事が来たと伝えると、どこがキレるところなの?分からない、ストレス溜めたらダメだよ、と気遣ってくれた。
遠隔でも私にストレスをかけてくれるのか…と思い、無視する事にした。
過去、主人からメールやLINEで文句を言われるのが一番嫌だと言われたからだ。じゃあこういう時にはどうしたら良いのかと思いながら、私の生活から主人を消すという選択をした。主人からのLINEの通知をオフにして、とことん無視する事に。
ところが、クリスマスイブの今日、クロネコヤマトさんが荷物を届けてくれた。
主人からだった。
開けると、ノートのページを一枚破った紙にメッセージとプレゼントが入っていた。
主人は、サプライズとかそういう事は今まで一度もした事がない。手紙なんて初めて貰った。
そういう事は出来ない人だと思っていた。
友人の結婚式に行くと、当たり前のようにサプライズが用意され、喜ぶ友人が羨ましかった。うちの主人はそういう事が出来ない人だから仕方ないと、うそぶいていた。
手紙には、感謝の気持ちが綴られていた。
今年、義父が倒れたり、主人が怪我をしたり、突然単身赴任となったり、色々あった。そんな中で、主人の中で、私へ感謝の気持ちを持ってくれていたようだ。
以前に書いたように、文章が苦手なため、何を言っているのか分からない部分も多かったが、だからこそ、きっと一生懸命書いてくれたんだろうと思う。
私はずっと、
言葉にしないと分からないという事を、本人が一番分かっているのに、どうして本人は私にそれをしてくれないのか。
と、不満に思っていた。
言葉で伝えないと、考えていても、想っていても、伝えていないのと同じだ。
ずっとずっと、ずっと、不満だった。
それが、思いがけず、突然叶えられた。
ずるいと思った。
でも、嬉しかった。
初めてもらった言葉達。
ひとまず、LINEでの事は、忘れておく事にした。
お互いがお互いの方を見ているからこそ、距離が近くて激しくぶつかり合うけれど、物理的に距離が出来ればぶつかり合う事も大幅に減る。
その距離が、思いがけずこうして、嬉しい機会を作ってくれた。
メリークリスマス。
トラウマについて 死の受容
今日は、私のトラウマについて書こうと思う。
これは昨年判明した私のトラウマの話だ。
私が小学校低学年の時に、母方の祖父が亡くなった。
末っ子で甘えん坊だった私は、短いきかんだったが、一緒に住んでいた祖父にもよく懐いていて、大好きだった。祖父も私を可愛がってくれていたと思う。
ある日、祖父は入院をして、突然家からいなくなった。そして数ヶ月後のある朝起きると、母がおらず、私の兄か姉から
「おじいちゃん死んだんだって」と聞かされた。
訳も分からないまま、通夜葬儀に連れて行かれた。母が泣いていた。初めて母がなく姿を見て悲しくなった。
「最後にお顔を見てあげて」とお花を渡されて、素直にお花を持って棺に近づいた。
いつもニコニコ、持病で浮腫みがちで少し丸顔、頬がピンク色でピカピカしていたはずの祖父。ところが、そこに収まる小さな祖父の姿は、まるでミイラのように痩せこけた姿だった。
怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。
でも、怖いなんて言ってはいけないと子供心に分かった。我慢をした。
それから、私は葬儀などで、お顔を見てあげて下さいという時間が苦手になった。
「お顔を見てあげて下さい」
「綺麗なお顔ですね」
そんなやり取りが大嫌いだった。
一体何のために?死者の顔を見てどうするのか?
死者も見られたいのだろうか?
死は死でしかなく、綺麗なお顔なんてお世辞を言ってどうしたいのだろうか?
昨年、主人の親戚の葬儀に参列し、その夜に、この話を初めて主人にした。
初めて祖父の死で泣いた。
怖かった。大好きだったのに。怖いと思ってしまった。大好きだったのに。
私は祖父とお別れをせぬまま、ここまで来てしまったのだと気づいた。
同居はしたものの、母には、祖父との間に確執があった。それが理由かは分からないが、祖父の入院先に、私達を連れていく事は無かった。
今思えば、ちゃんとお見舞いに連れて行ってくれていたら、少しずつ弱る祖父を見て、死の受容が出来たのではないか?と考える。
少なくとも、ピカピカ頬のおじいちゃんが、突然ミイラのようになってしまった…なんて事は無かっただろう。
死に目に会わせることも、やはり死の受容には重要な儀式だと思う。最後に想いを伝えられたかどうかは、やはり大きい。
私は、大人になるまで、ずっとこのトラウマを抱えたまま、祖父にお別れができぬまま来てしまった。
心の発達の為にも、子供には特に、身近な人の死を受け入れられるような、お別れを作ってあげるべきだと思う。
生きて欲しい
自殺者が増える中で、この一言を言ってくれる人たくさんいてくれたら…と毎回思う。
その一言には、大して効力がないけれど、死にたいという気持ちは、発作のようなもので、発作が収まれば、一旦は危機を脱するから。
死にたくなるようなほど悩む人は、誠実で心優しく、繊細な人。
「生きて欲しい」と言われると、その人を裏切って死んで良いのか?と少なくとも数秒は、数分は、もしかしたらもう少し長い間、葛藤する。
ただ、そうなるのを知っている人は、長い年月苦しんで来た人は、それを避けようと、誰にも言わずに命を絶ってしまう。前日まで笑って楽しそうにしていても。数時間前までニコニコしていても。
どうか、そんな人には、お疲れ様と言ってあげて欲しい。
頑張ったね。辛かったね。苦しかったね。よく頑張ったね。もう、大丈夫だよ。
そう言って欲しい。
私は、ある日、どうしてもしんどくなった時、仕事中の主人に、メールをしたことがある。
その時言われたのが…
「それを聞いて、僕が何も思わないと思いますか?僕はその度に、この子を幸せに出来ないと思います。」
きっとメルトダウン中だったんだろう。
私は、死ねと言われたと感じた。
あぁ、この人は崖の上に立つ私の背中を今、ドンと押したんだ。と。
カサンドラの人にとって、一番助けて欲しい人には、助けて貰えない事が多い。むしろ、突き落とされる事の方が多い。
自助グループで知り合った友人は、「実家に帰らせて欲しい、もう死にたい」と訴えたら…
「迷惑かけないように死んでくれ」と言われたそうだ。
この孤独は、カサンドラでなければ分からない孤独だ。
私は、その友人に、
生きて欲しい、私にはあなたが必要です、私を一人にしないで、
そう連絡した。
彼女を失うことは、理解者を失うことだ。これは、頭で考えた事ではなく、私の必死の訴えだった。
私は、主人に突き落とされたものの、
死ぬのはいつでもできる。明日は仕事だ。仕事で迷惑は掛けられない。身辺整理をしてから死のう。と考え、行動には移さなかった。
仕事というストッパーと責任感があった事が、救いだった。
2日後、主人から
「ごめんね、色々いっぱいいっぱいやった」
とメールが来た。
それに返事はしなかった。ごめんで済む問題ではない。
きっと、私はこの事を一生忘れないと思う。私は崖から突き落とされた。あの時、私の心は殺された。取り返しのつかない事をされた。
私はただ一言、生きて欲しいと言って欲しかった。