かけがえの無い存在という感情
私が子供が欲しいのは、昔から子供が大好きだからだ。その気持ちはちゃんと子供にも伝わり、お世話をするととても懐いてくれる。だから更に子供好きになる。
私が子供が欲しい理由のもう一つは、発達障がいの主人に、家族を作ってあげたいからだ。
胸が張り裂ける思いを知らない主人。自分の子供という、未知の生命に触れたら、きっとこれまで感じたことのない感情を沢山持つことになるだろう。
かけがえの無い存在
愛おしい存在
目入れても痛くない存在
そんな存在を、主人に感じてもらいたい。
主人の世界がグッと広がるだろう。
※安易に子供が欲しいと考えている訳では無い。遺伝のリスクももちろん十分理解したうえで、希望をした。
でも、この願いは叶いそうも無い。この気持ちは、表現し難い。悲しい。悔しい。辛い。怒り。どうして。なんで。どうしたらいいの。溢れる感情の嵐にただ静かに打たれるのみだ。
この気持ちは、主人には理解して貰えないという寂しさ。
沢山諦めてきた。手放してきた。それが、またこれもか…と思うと、もう。
この世に神様というものがいるとしたら、それは気に入らない人間をとことんいじめ抜くような卑怯な奴なんだろうと思う。もし会えたら、これでもかと罵詈雑言を浴びせてやると思っている。
たまにはこうして、感情を吐き出す。それで良いんだよと自分に言い聞かせる。
知覧からの手紙
この時期になると必ずあちこちで目にする戦争関連の記事やニュース。毎年目に入ったものは全てしっかり読むようにしている。
私の知らない、別世界に感じる戦争を、しっかり知ること、現実にあったことだと確実に認識すること、それが目的だ。
知らない、詳しくは分からない、そんな自分にに焦りが何故かある。知らないまま、戦争を反対することは浅はかだと感じていた。
毎年、戦争関連の本を読みたいと思っていたのだが、怖くて手が出せなかった。恐ろしさや悲劇に飲み込まれて、メンタルが崩れるのではと心配だった。
感受性が強いらしく、大きな災害や事故のニュースを連日見ていると、うなされたり、不安定になることがこれまで多々あったからだ。
今回、戦争関連の記事をネットサーフィンでたくさん読んでいると、知覧特攻隊で命を落とし方とその婚約者の方との本があると知った。
それが「知覧からの手紙」だ。
本の口コミを見ると、とても評判が良く、ラブストーリーであるとのコメントもあり、そうであれば読んでも大丈夫かもしれないと思い、図書館で取り寄せをして読んだ。
とても良かった。ただ、事実とその時の気持ちを書いたシンプルな内容だからこそ、ダイレクトに心に突き刺さる。自ら志願して戦闘機に乗った青年の葛藤が分かる手紙の内容は、人間らしさに溢れており、今と変わらない。だけど、今とは全く違う芯の強さと凛とした生き方が素晴らしいと感じた。
現代の日本は沢山の犠牲の上にあり、沢山の苦しみや悲しみがあったことを、この時期が来るたびに思い知る。
特攻隊の半数近くが鹿児島県の知覧から帰らぬ任務に向かったことを今回、知覧について調べてみて初めて知った。死ぬまでに一度は知覧を訪れてみたい。また、高校の修学旅行で訪れたきりの広島平和記念資料館も、改めてしっかりと見に行きたい。
本人の努力
最近、主人が落ち着いている。以前のようにかなり頻繁にキレる事が無くなった。
そのお陰で、私が実家に帰るという事も無くなった。
なんとなく理由は分かっている。
主人はコントロールしようと努力をしてくれている。
なぜそうなったのか、私が本当の気持ちを話したからだと思う。
「もう頑張るの疲れた。我慢するのも疲れた。死にたい。自殺は出来ないから、事故か病気で死ねば良いとずっと思っている。」と泣きながら言った。
そんな事は言ってはいけないと、これまた我慢をしていた。やはり我慢が趣味のようだ。
これを言った時、きっと私の心は、我慢できないほど限界だったのだろう。
主人は頭を抱えてうな垂れた。
本当は慰めて欲しかったのに、私より落ち込むなんてズルイ。卑怯だ。もう頑張れないはずの私は頑張って、話を切り替えて明るく接した。心のモヤモヤが大きくなる中で頑張った。
主人はかなりの長い時間うな垂れていて、私の心は大嵐だった。許せなかった。
でも、いま考えると、あれがきっと良かったのだ。
主人は真剣にその発言と向き合い、反省し、努力をしようと決意してくれたんだと思う。
我慢をやめると、意外と良い方に転がる事もあるのだ。
主人は私がどれだけ苦しんで、頑張って、我慢をしていたか、純粋に分からなかったのだ。そりゃそうだ。人の気持ちを推し量るのが特に苦手な特性なのだから。
主人がアスペルガーだと気付くまでは、自分が愛されているなんて思えず、辛かった。
でもアスペルガーだと気付いてからは、主人なりに私を愛しているのだと自信が持てるようになってきた。たまにネガティブな感情に負けて忘れそうになる事はあるが…。
今回、主人は主人なりに、幸せにしてあげたいのに苦しめている現実に向き合ったのだろう。
そして、可能な限り感情をコントロールしようとしてくれている。
もちろん、コントロールしきれず、キレてしまう時もあるが、格段に減った。
カサンドラあるあるではあるが、連休は一緒に過ごす時間が増えて地獄に陥る。しかし今年のゴールデンウィークは、例年で有ればスタート2〜3日目で確実にキレていたが、最終日午後にキレた。惜しい…あと数時間のレベル…なんてネガティブな事は言わないでおこう。成長だ。
否定
元KARAのハラさんが亡くなった。
特にすごいファンだった訳ではなかったが、可愛いなぁ…と思っていた人。
死因は、現時点でははっきり発表されていないが「自分を愛せなくてごめんね」というメモが見つかり、自殺の可能性が高く、司法解剖はされない見通しとのニュースを見た。
過去、自殺未遂をしているハラさん。きっとどうしようもなく辛かったんだろう。
彼女がどんな辛い目に遭っていたのかは、きっと誰にも分からないだろう。人の受け止め方はそれぞれだし、ストレス耐性もそれぞれだ。でも、きっと辛かっだろうと推測することは、誰にでも出来た事だと思う。
なぜそんな彼女をあそこまで追い詰めたのか、それは、名前も顔も分からない不特定多数の心無い書き込みだっただと言われている。
人は、どうしてこうも、他人を無意識に攻撃するのかといつも思う。中には、日常では攻撃的ではない人も多いだろう。
溜まったフラストレーションを撒き散らす様に、ぶちまける様に。人を否定する事で、あやふやで不安定な自分の存在を、正しいものだと確かめている様に感じる。
人を追い詰める事で、追い詰められた自分を慰めているみたい。
誰かを否定しても、何も分からないのに、怪しい薬の様に、それを乱用する。
現実世界ではない、インターネット上であるからこそ、それが更に顕著になるのだろう。
世の中は年々、そんな殺伐とした雰囲気が強くなっている気がする。
疲れやストレスから、不安定な人間が増え、不安定な人間の中で過ごす事で、更に疲れやストレスを溜めていくループだ。
例えば、あなたの大切な人が、こんな風に攻撃されたらどう思いますか?そう尋ねてみたい。その辺りを、みんな想像しているのだろうか。否定される悲しさや寂しさや痛みを知らないはずがない。
言葉は時に暴力になる。
たった一言。それで命を奪うこともある。積み重ねで追い詰めてしまう場合もある。時間差で何年間も追い詰め続けてしまう場合もある。積み重ねの最後の一つになってしまう場合もある。
発達障がいの方は、鬱や不眠に悩まされる方が多い。
それは「みんなと違う」という理由で弾かれ、居心地の悪さを常に感じ、時にはイジメの対象にもなる。そして、フラストレーションの捌け口にされるという場合もあるだろう。発達障がいの二次障がいとして精神的な病を発症する。
「みんなと違う」それだけで、否定され続けるのだ。
マジョリティが正しい、マイノリティが間違い、そんな考え方がないか、もう一度考えるべきだと思う。
それぞれが違っていい。そこに正しいも間違いもない。
前述した、ハラさんの訃報を聞いて、この事を思わずにはいられなかった。
今回の件で、少し慰めになったのは、自殺を否定するような、それを咎めるような意見が表に出なかった事だ。少なからずそういった意見の人はいる。もちろん、大切な命を…と言いたくなる気持ちは分からないでもない。でも、それを選択するしかないほど、追い詰められ、辛い思いをした人に説教は、少し悲しいなと思う。人の気持ちを慮れる人が一人でも多くなる事を心から願っている。
彼女に伝えたいのは、
頑張ったね、辛かったね、ひとりぼっちで寂しかったね、耐え続けたよね、どうか、これからはそんな思いをせず、安らかに過ごして下さい。
詐欺にご注意を
ある日、
主人「そういえば、不在で荷物が届けられなかったみたいな通知が来てたけど、受け取った?」
私「知らない。ポストにも不在通知入って無かったよ」
主人「いや、メールで来てた」
私「え?普通メールで来る?ポストに入ってないのおかしくない?」
主人「でも来てたから」
携帯を取り出し、画面を見せてくれた。
私「ちょっと!それ!ワンクリック詐欺!」
主人「え?そうなの?」
私「クリックしてないよね!?」
主人「幸いガラケーなのでクリックしても繋がりません」
私「あ〜よかった…」
主人は、ガラケー(通話のみ、ネット接続不可)と、格安スマホ(通話不可)の二台持ちで、ワンクリック詐欺メールはガラケーに来ていた。
主人「僕、ワンクリック詐欺系すぐにクリックしちゃうから、昔はよく変な電話掛かって来てたんだよね…」
私「…」
エピソード1:
アダルトサイトを見た代金を支払えという電話が掛かって来た。しかし利用した記憶もなく、詐欺だと分かっていて、飄々と対応する主人に対し、電話相手(詐欺師)ブチギレ。
電話相手「いまから、あなたの所に行きますよ?」
若かりし主人「どうぞどうぞ、いま〇〇県の〇〇駅に居ます」
正確に現在地をご連絡。
エピソード2:
いつも通り飄々と対応する主人に対し、電話相手(詐欺師)激昂。
電話相手「おい!お前の家に火つけるぞ!」
若かりし主人「いや〜それは困りますね〜」
脅されても飄々と。火をつけられると困る旨をお伝え。
素直な主人は、ワンクリック詐欺には見事に引っかかるようだ。
飄々とした主人なので、被害がなく済んでいるが、そうではない人も沢山いる。
周りの人間が気をつけて、本人に注意喚起が必要だ。
その人によって、特性の出方は様々だが、そんな事注意しなくても分かるに決まっているといえ決めつけは危険だ。
これは、定形外発達の人のみならず、定形発達の人でも、伝えなくては分からない事は沢山ある。決めつけは常に問題を引き起こす危険があるという事を、頭に置いておかねばならない。
同期のサクラ
いま放送中のドラマだ。
体調不良でリアルタイムでは見ておらず、時間がある時にまとめて最近見ている。
初回〜2回目位までは見ているとなんだかなぁ…と思っていた。ただ主人公の祖父の言葉が心に響いた為、続けて見ていた。
なぜ、なんだかなぁ…と思ったかと言うと、主人公が発達障がいの特性をたくさん持っているからだ。
毎日主人の対応に疲れているのだろう。見ていると疲れてしまったのだ。
しかし、3回目を過ぎると、このドラマには発達障がいの方に対してどう接するべきかのヒントがあると感じた。
例えば、主人公は人事部所属で、上司からストレスチェックの未実施者に実施を促すように指示される。
「ストレスチェック?なぜ必要なのでしょうか?」と疑問を口にする。
それに対して上司は
「人知れず一人で悩んでいる社員の健康の為に、気持ちよく働けるようにだ」と説明すると、主人公は納得してすぐに仕事に取り掛かる。
納得をすれば、すぐに仕事に取り掛かる。
ただ、指示されたからやる!という事にはなれない。自分が納得しなければ、出来ない。
そんな主人公に対して、上司は説明をする。
発達障がいの方を雇用する企業の担当者には大きなヒントになる。
ドラマでは、サラッとした説明のみで主人公は納得してくれる為、具体的には参考にはならないかもしれないが、ヒントである事は間違いない。
「文句を言わずにやれ」
「面倒臭い」
「我慢しろ」
「指示に従えばいいんだ」
そんな風に片付けてしまえば、早いかもしれない。しかし、それを続けていたら、遅かれ早かれ、発達障がいの方はストレスを溜めに溜めて、メルトダウンを起こす。
メルトダウンとは、発達障がいの人のパニック症状のようなものだ。
強いストレスにさらされてに、対処しきれなくなることが原因で起こる事だ。
例えば、
攻撃的になる
ひどい言葉を言いつらねる
ネガティブになりひきこもる
暴力をふるう
過呼吸をおこす
泣き出す
ちなみに、うちの主人の場合は…
敵意をむき出しにして、別人のような口調と表情となり、意固地になる。また、ひとしきり攻撃をしたら、自分の殻にひきこもる。
メルトダウンを一度起こすと、うつ状態になり、回復までに時間がかかる事が多い。
発達障がいの方は、常に、定型発達の当たり前を突きつけられて、ストレスフルだ。
どんな人でも、自分を否定されて続けたり、自分らしさを出す事を禁じられ続けたら、精神が破綻してしまう。
同期のサクラにて、主人公は、
理解してくれる仲間
常に言葉で救ってくれる祖父
納得出来ない事を説明してくれる上司
恵まれた人間関係のお陰で、今のところメルトダウンを起こさずに済んでいる。
どこかに救いがあれば、発達障がいの方は、「生きづらさ」を少なく過ごせるのだ。
それは些細な事でも構わない。
サラッと説明するだけで納得出来る事もある。
発達障がいの方が身近にいる人にとって、このドラマは、ヒントがたくさんあると思う。
胸が張り裂けるとは
私の車の中で、流れていた曲の歌詞の中に「張り裂けそうだよ胸が」という部分があった。
それを聞いていた主人が「胸が張り裂けるて…(失笑)」と反応した。
そういう所…そこが発達障がいですよね〜と言いたかった。
胸が張り裂けそうな体験をした事がないようで、こっちが胸が張り裂ける思いですわ。
それとも、障がい有無関係なく、男性だからか。
それとも、楽観的だからか。
それとも、運が良かったのか。
それとも、私が不運すぎたのか???
分からない(笑)
とある番組で雑誌dancyuの斬新な表紙を紹介していた。おにぎり特集では、表紙一面が海苔というものにしたそうだ。
編集者「どんなおにぎりなのかを想像させたい。どんな具なのか、どんなおにぎりなのかは見る人に自由に想像してもらい、雑誌の中身に興味を持ってもらいたくてこうしました。」
私(あ〜、想像するする!!私は鮭!!)
主人「は?いやいや、海苔は海苔でしょ。想像するのはこの海苔はどこ産だろう?くらいでしょ」
そういう所…そこが発達障がいですよね〜と言いたかった。
我慢した。というか、どこ産って!斬新!
社会の中で、そこが発達障がいだ!と切り捨てるのは簡単だが、そういう着目点があるからこそ、発達障がい者は天才や発明家が多いのだ。
海苔→中身は何だろう…と想像を膨らませる定型発達の人が大多数の中、
海苔→海苔→海苔…と注目を続ける定形外発達の人、そこから大発見が生まれたりするのだ。
自由な発想が無ければ、いまこの世に溢れる芸術作品、当たり前に使っている道具、方程式、常識は存在しない。
海苔→中身は…なんて意識を別の事に持って行ってしまうような定型発達のみの世界だったら、地球が丸いなんて誰も思いつきやしない。
胸が張り裂ける思いを知らないかもしれないが、思いがけない発見を続けていくのが定形外発達だ。
しかし、発達障がい(定型外発達)だから、胸が張り裂ける思いが分からない訳ではない。
以前も書いたと思うが、私は過去、カサンドラ症候群の自助グループで、発達障がい当事者の男性から話を聞く機会があった。
その方は離婚を経験して「初めて胸が張り裂けるという経験をしました」と語った。それまではそんな感情があるなんて知らずに生きてきた。大切に思っている人を失う事がこんなに辛いのか…と知ったようだ。
さらに彼は「今では、となりのトトロを見て泣けるようになりました(笑)」と語った。
私にはこれが衝撃的だった。
私は、障がいだから…出来なくて当たり前…と決めつけていた事に気付かされた。
「他に共感する」これが出来るのは既に発達障がいの定義から外れるように感じる。
もちろん障がいの特性にはムラや強弱はある。それでも、この「他に共感する」は難しく、ここから派生する特性が沢山ある。そのメインとも言える特性が、経験によって定型発達と変わらない状態になったのだ。
障がいだから出来ない。
障がいだから仕方ない。
それは違うのだ。
胸が張り裂ける思いを知る日は来るし、他に共感する日も来る。