四葉の日記

カサンドラ症候群の四葉のブログです。

生きて欲しい

自殺者が増える中で、この一言を言ってくれる人たくさんいてくれたら…と毎回思う。

その一言には、大して効力がないけれど、死にたいという気持ちは、発作のようなもので、発作が収まれば、一旦は危機を脱するから。

死にたくなるようなほど悩む人は、誠実で心優しく、繊細な人。

「生きて欲しい」と言われると、その人を裏切って死んで良いのか?と少なくとも数秒は、数分は、もしかしたらもう少し長い間、葛藤する。

ただ、そうなるのを知っている人は、長い年月苦しんで来た人は、それを避けようと、誰にも言わずに命を絶ってしまう。前日まで笑って楽しそうにしていても。数時間前までニコニコしていても。

どうか、そんな人には、お疲れ様と言ってあげて欲しい。

頑張ったね。辛かったね。苦しかったね。よく頑張ったね。もう、大丈夫だよ。

そう言って欲しい。

 

私は、ある日、どうしてもしんどくなった時、仕事中の主人に、メールをしたことがある。

その時言われたのが…

「それを聞いて、僕が何も思わないと思いますか?僕はその度に、この子を幸せに出来ないと思います。」

きっとメルトダウン中だったんだろう。

私は、死ねと言われたと感じた。

あぁ、この人は崖の上に立つ私の背中を今、ドンと押したんだ。と。

 

カサンドラの人にとって、一番助けて欲しい人には、助けて貰えない事が多い。むしろ、突き落とされる事の方が多い。

自助グループで知り合った友人は、「実家に帰らせて欲しい、もう死にたい」と訴えたら…

「迷惑かけないように死んでくれ」と言われたそうだ。

この孤独は、カサンドラでなければ分からない孤独だ。

私は、その友人に、

生きて欲しい、私にはあなたが必要です、私を一人にしないで、

そう連絡した。

彼女を失うことは、理解者を失うことだ。これは、頭で考えた事ではなく、私の必死の訴えだった。

 

私は、主人に突き落とされたものの、

死ぬのはいつでもできる。明日は仕事だ。仕事で迷惑は掛けられない。身辺整理をしてから死のう。と考え、行動には移さなかった。

仕事というストッパーと責任感があった事が、救いだった。

2日後、主人から

「ごめんね、色々いっぱいいっぱいやった」

とメールが来た。

それに返事はしなかった。ごめんで済む問題ではない。

きっと、私はこの事を一生忘れないと思う。私は崖から突き落とされた。あの時、私の心は殺された。取り返しのつかない事をされた。

私はただ一言、生きて欲しいと言って欲しかった。