四葉の日記

カサンドラ症候群の四葉のブログです。

幸せだなぁと感じる時って?

先日、仕事の出張予定があり、参加できないはずだった自助グループに、出張が急遽キャンセルになり、休みが取れて、参加してきた。

 

年度をまたいだ為、4ヶ月ぶりの開催。

 

それぞれが状況も変わっているだろうから、報告をした。

自助グループに参加すると、比較的皆さん、少し心が楽になるようで、ほぼ顔見知り。久しぶりに一名初参加の方がみえたり

 

今回は全員が「いま話したい事」または「みんなに聞いてみたい事」を好きに紙に書いて、ランダムで順番に話し合って行くという物があった。

その中で、一人の方が、「皆さんたくさん辛い思いをしているのに別れを選択しない。もちろん子供さんや金銭面などで別れられないという事もあるかもしれないが、やっぱり、幸せだなと感じる事もあるからではないかと思って、皆さんが幸せだなと感じる時ってどんな時ですか?」と質問をした。

これって、これまでにない見方だと思った。

こんな事があった、辛かった、こんな悩みがある、こういう時どういう対処をすれば良いか、そんな話題しかこれまでは上がっておらず、どちらかと言うとネガティブな事が上がっていた。

でも、改めて、幸せだと感じる時を振り返るというのは、とても大事な事だと思った。

嫌だ嫌だと思いながら生きればどんどん落ち込むが、幸せを拾い集めれば幸せに生きる事が出来る気がする。

それぞれが、夫への愛や、感謝を振り返った。

 

私は、主人からの愛情を確信している事だと答えた。

色々あるが、常に私の事を考え優先しようとしてくれる。特性が出てくると、自分勝手になり、私の事をひどく傷つけてばかりだけど、それは主人にはコントロール出来ないものである。

主人は恐らく、私を失ったら廃人になると真剣に思っている。お互いの心の距離が近いからこそ揉め事が多く大きくなってしまうだが、お互い愛情があるからこそだと思う。

具体的にこうして振り返ると、私は、幸せだなぁと感じた。もちろん、その倍も辛いことはあるけれど、ここまで旦那さんに愛される女性はいるかと考えたらそんなに多くはないと思う。

 

ぜひ、一度考えてほしい。

幸せだなぁと感じる瞬間はどんな時ですか?

どうして離婚をしないのですか?

 

自分の行動を評価しない

先月、支援センターへ相談へ行ってきた。

私の住んでいる地域では、発達障害者支援センターで配偶者の相談にものってくれる。

 

ゴールデンウィークで疲れ切っていて、時々泣きながら「疲れた…」と訴えた。

いつもPDCAサイクルを回してるんです。

本を読んで、色々考えて、対応してるんです。

その対応を振り返って、あの言い方が良くなかったのかもしれない、これからはこうしよう。あの行動が主人の癇に障ったのか…じゃあこうしよう。あぁ失敗した…分かってたのに。みたいな感じで。いつもいつも考えてやってるんです。だから前に比べたら揉めることは減ったし、いい距離感も取れるようになりました。でも、疲れました。頑張ってるんです。いつもいつも。

私の気が済むまで話を聞いてくれて、具体的にアドバイスをしてくれる。

今回、言われたのが、

自分の行動を評価しない方が良いですよ。

だってちゃんと考えて、頑張ったんだから、間違いとか失敗なんて思わなくて良いんです。

だった。

 

ただただ、ふーん。それで良いんですよ。

ご主人の反応が悪かったり、四葉さんの行動でご主人が怒っても、ふーん、嫌だったんだーへー。それだけ。

あーしまった!じゃなくて、ふーん。

でも、良かったことは評価してください。成功した!良かった!正解だった!ってちゃんと評価してください。

 

私、思い切り、PDCAしてました(笑)

 

ふーん。

意識してやってみよう。

 

お金のこと

うちの主人は貧乏性だった。

私も貧乏性なのでお互いちょうど良かったのだが…

実はここ数ヶ月、主人が持っているクレジットカードの請求がまぁまぁな金額だった。現金お小遣いも渡しているので、トータル毎月13万ほど使い込んでいる。

しかし、頭ごなしに注意してキレられても嫌だ。ストレス発散が買い物だと感じていたので、それを取り上げてストレス溜めて爆発も困る。しかし、言わねば…。

その葛藤で何ヶ月も私のストレスだった。

アスペルガーの人に物事を伝えるには、タイミングを見計らうのが重要だ。伝えた事を受け入れる余裕があるのか、いまはそのタイミングなのか。他の事に気を取られていないか。

そして伝え方も大事で、感情的になってはいけない。怒ってしまうと「怒っている」という事しか集中できず、内容が一切入らないため、何か分からないけどとにかく一方的にキレられた!と感じるらしい。

 

半年ほど悩みあぐねたが、このまま野放しにしたらうちの家計は火の車になるので、言った。

「ここ数ヶ月、請求金額がかなり高いの。何か買ってる?いまはうちは私も転職して収入は半分になったし、引っ越しで家賃もかなり掛かるようになったし、ちょっと苦しいのが現状だから心配になった。あまり言ってストレスになってもいけないと思って、そのままにしてたけど、あまりに長くこの状態が続いてるから伝えるね」

主人

「そうか…気をつけます。なんだろう…。今月はカメラのレンズ買ったからかなぁ。」

「いくらだったの?」

主人「3万円弱」

いや…明らかにもっと使ってるんですけど…。しかし、窮鼠猫を噛むじゃないが、男性は追い詰めすぎてはいけない。男性には常に逃げ場を作っておいてあげなさいと前の職場の人に言われていたので、ツッコミはせず、

「そうか、これからは気をつけてくれるとありがたい」

主人「カメラのレンズは自分のお金出すよ、勝手に買ったし」

と、独身時代の貯金から三万円を出してきた。

「いいの?そんなつもりで言ったんじゃなくて、今後気をつけて欲しいから言ったんだよ。じゃあ本当に貰っていいのね。通帳に入れておくからね、ありがとう」

と、足りないよ!なんて言わずにありがたく受け取りました。

 

今回はきっと、いいタイミングだったんだろうと思う。

 

ブログの書き方

はてなブログが書けなくなった。

どこから新規ブログを書くかわからなくなった、これまでもかなり四苦八苦して書いてたけど、少し間を置いたら更に分からなくなり、何度も断念。止むを得ずアプリをダウンロードした。思う壺にはまった気がしてすごい敗北感。

 

色々あって、ちょっと時間が取れずに、そしてブログの書き方分からず、放置をしていた。

 

また自分のペースで更新するつもり。

図書館

昔から図書館が大好きだった。

中学生の頃は、朝図書館、昼図書館

夕方図書館という、図書館少女だった。

あれを本の虫と言うのか、常に鞄には本が入っていた。

自分で物語を書くのも好きだった。お陰様で、文章には強くなった。

しかし先日、記念受験と思って受けた、とある採用試験で、まさかまさかの一般教養試験は合格、小論文で落ちた。

死ぬほどショックだった。まさか受かると思ってなかったが、原因が一般教養試験でなく小論文!?

人生やり直しだ!と思った。

あまりに悔しかったので、記念受験のつもりが本気になって、小論文対策本を買ってきて勉強している。


話が逸れたが、今日は大きな図書館に行ってきた。

私は昔から図書館好きなのでベーシックな箱物の図書館に馴染みがある。ところが最近の図書館はオシャレに無駄にこだわったところもある。有名な建築家が…とかいうやつだ。

私はどうもそこの図書館が好きになれない。

探しづらい。動きづらい。図書館は大きな本棚が延々と並んでいる四角い空間で良いのに…。

これまで二回行っていたが、不機嫌になって帰宅していた。若者にキレる老人のごとく

「図書館をくだらないものにしおって!けしからん!」状態。

いつもはインターネットで本を予約して、自宅や職場近くの分室や出張所で借りていた。返却時はその施設に行って返却したり、返却ポストへ。ただ今回、うっかり返却期限を二日間オーバーしてしまった。返却期限を過ぎたものはポストでは返却出来ないと書いてあった。恐らく素知らぬ顔でポストに入れても誰にも文句は言われないけれど、図書館好きな私としてはそんな無作法な事はしたくない。

仕方なく、苦手なメイン図書館へ。

返却のみをして、駐車場に戻ったものの、お昼まで時間があった。今日はお昼は一人で外食予定で、店も図書館から近い場所で決めていた。車の中で40分ほど潰したが、まだまだ時間はある。

仕方ない…好きじゃないけど、図書館歩くか…と図書館に戻り歩いた。


カサンドラ症候群

というそのまんまの本を見つけた。

知っている情報ばかりだったけれど、一つでもヒントがあれば、その本の価値はある。

10分ほど座り読みをして、借りて図書館を出た。

苦手な図書館だったが、収穫があって満足。

こんな運命的な出会いがあるのが図書館の魅力だと思った。


読みたくて、予約をした本が、予約数100人と書いてあって笑った。

さすが人気の本。

買ってもいいけれど、実は実家を出て一人暮らしする時に相当の数の本を断捨離している。それでも捨てられない本は沢山あり、これ以上増やせない。

きっと、来年くらい、すっかり忘れた頃に予約された本が準備出来ましたと連絡がくるだろう(笑)


今日借りた、カサンドラ症候群という本は、読み終えたらこちらに何かしら書きたいと思う。


何気に、小論文、一般教養の勉強と、読書と、どんどん忙しくなる。

仕事終わってから家事をして、それをしようと思うとなかなかハードだ。

だけど忙しくなると、無駄に悩んだり考える必要が無くて楽だ。


連休

基本的に人と一緒に過ごすのが苦手なアスペルガーの方は多い。

自分ペースや自分のルールがあり、それを崩されるのが知らず知らずのうちにストレスになるようだ。

うちでは、連休に喧嘩になる事がしばしばだ。このGWは地獄だった。


知らず知らずのうちにストレス…が何より厄介。

うちの主人は本当に気づかないタイプ。他のアスペルガーの方はどうなんだろうか…。恐らく皆さんそうなのではないかと思う。

本人も気づかないうちに溜まりに溜まるため、不機嫌が続いたり、周囲の人には全く訳の分からないタイミングで突然キレたり、かなりの大爆発をしたりする。

本人も気づいていない為、相手の本当に些細な一言で激昂して、そのパワフルな怒りのエネルギーから、相手が本当に酷い事を言った!と記憶がすり替えられる事さえある。


私達夫婦でも、私の些細な一言で主人は怒り、私としては訳が分からない為、常にビクビクするようになった。

最近は、不機嫌具合が手に取るように分かるようになってしまい、触らぬ神に祟りなし!と物理的距離を取るようにしている。

それでも、私も未熟な為、我慢できずに「どうしてそんな言い方するの?」とか「どうしたの?」なんて言ってしまう時がある。

これはもうどうしようもなくて、人間だから仕方ないと思う。全てを我慢する事はきっと一生できない。


喧嘩と言うべきか、話し合いと言うべきか、それらは延々と平行線となる。

うちの場合は、とにかくお互いが心身に支障をきたすレベルまで行ってしまう。

もちろん、私が正常な思考を保つ事が出来れば、それ以前で止める事が出来るのだが、なかなか常に出来るものではない。

主人の心のシャッターは完全に閉められ、頑なになる。何を言っても屁理屈を言われ、言葉の選び方を責められる。

また、うちの主人は国語的分野に学習障がいがある為、国語力に乏しい。主人の言いたい事が全く分からない事が多い。それについては主人も自覚があり、それがまたストレスになる。表現できないもどかしさだと思う。更に怒りが増幅する。

いわゆる「手が付けられない」状態になる。いつもの主人とは別人になる。


過去には、私が過呼吸で手足が動かなくなり、床に芋虫のように転がって動けなくなっても、助けてくれなかった事がある。

「お願いだからもうやめて」と言っても

「君がこの話を終わらせないんだろう」と更に怒り始める。

この時、本気で離婚を考え、主人の実家に一人で行って、一部始終を話し、その意思を伝えた。


それでも離婚しなかった理由は、やっぱりそれでも好きだったからだ。

親しい友人に「まるでDV被害に遭っても別れられない妻って感じだね」とショッキングな事を言われた。でも、まさにその表現はピッタリだと思う。


疲れによって特性が顕著になる主人。

そうではない時は、とても優しいのだ。

アスペルガーの方は本来、皆さん子供のように純粋で、素直な心を持っている。

主人もとても純粋で、「僕は君が幸せになるために存在している」と平気で言ったりする。

「君が幸せじゃないなら一緒にいる意味がないから別れよう」

「君に好きな人が出来て君が幸せなら、それはそれで良いことだ、別に辛くない」

「僕は君が幸せならそれで満足だ」

マンガのようなセリフを平気で言うのだ。


私を喜ばせようと常に考えている。

しかし、残念ながらアスペルガーの特性上、人の気持ちが分からない為、上手くいかない。それがまたストレスになる。悲しいストレッサーだ。

「僕はこんなに君の事を考えているのにどうしてそんなに不満なんだ!」という怒りになったりする。

うーーん…本当に悲しく切ない。


カサンドラ症候群になっても、別れられない妻達には、様々な理由があるけれど、好きだから別れられない…は実はなかなか少数派。子供が居たり、結婚歴が長いとそんな気持ちは無くなるようだ。

子供から父親を奪う事が出来ない

金銭的に別れられない

そんな理由が多い。


カサンドラ自助グループで知り合った友人が言っていた事がある。

「本当に嫌だと思う事もあるけれど、幸せだと感じる時もある。別れるっていう事は、その幸せな時も捨てるという事。私はそれも一緒に捨てる決断が出来ない」と。

私も同じだと思った。


追記:

うちの主人のように妻に対する愛情を口にするようなタイプはあまり聞かない。

アスペルガーの方は、基本的に人に無関心な為、そういった事は少ないのだろう。

そういう点で、うちの主人はごく軽度であり、私が別れられなくなってしまう理由になってしまうのかも…


後ろ姿

カサンドラ自助グループでは様々な年代の方がいる。

私と同年代がもう一人いて。その子とは直接連絡先を交換してやり取りをしている。

最初は勝手に個人的に親しくするのは良くないかと思ったけれど、支援センターの自助グループ担当の方から「センターが絡まなくても、それぞれが繋がってお互いピア的な役割になり、その輪が広がって行くのが理想です」と言って下さったので、ホッとした。


実際、かなり、彼女に救われている。

私たちはお互い、主人が大好き過ぎて別れられないタイプなので話が合う。

辛かったことも苦しいことも、話すと「うちも!同じセリフ言われた!」と特性で合致することが多く、「一緒なの!?」と二人で笑ったり、あるある話を笑い飛ばせるのは本当に救われる。お互い愚痴を言ってスッキリする。


私たち二人が、共通して感じているパートナーへの印象は「後ろ姿」だ。

常にパートナーは我が道を行き、私たちを顧みたりはしてくれない。時々、ここで私が立ち止まっても主人はきっと気付かずにどんどん進んで行き見えなくなるんだろう。

そんな孤独感が常にあった。いつまで経っても、愛されている実感はない。

もしも私たちからパートナーに離婚を言い出せば「わかった」と言うだろう。引き止めたりもしてくれない。

大切にされていない感覚。

孤独。

悲しみ。

怒り。

それでも別れられない自分への嫌悪感。

もっともっと沢山の感情がグチャグチャになって心の中に溜まって行く。


昔々、大きなショッピングモールのCD店で、主人は視聴CDを聞いていた。一緒に来てるのに私は放置。仕方がないので別のCDを私も視聴する。

少しするとさっきまでいた場所に主人はいない、店内を探し回ってもいない。

もしやと思ってCD店を出ると、主人が一人別の店に歩いて行く後ろ姿があった。

「なんで置いて行くの!?」と聞くと

「いや、あっちの店見たいなと思って」との返答。


置いていかれると私は寂しい。

勝手に動けばはぐれる。

はぐれれば面倒な事になる。

それらの事まで思考が及ばないのだ。別の店が見たいと思ったら、そこにまっしぐら。


そんなショッピングモールやアウトレットモールで、巻かれる事件は本当に何度もあった。本気で私が泣く事が数回続いて、反省と学習をしたらしく、それ以降はない。


シンガーソングライターの柴田淳さんの「後ろ姿」という曲が、こんな私にはとても響く。まるで私ではないか…と思う。

結構柴田淳さんの曲は切ない曲ばかりのなので、ピッタリはまる曲が他にもある。追い追い紹介していきたいと思う。