四葉の日記

カサンドラ症候群の四葉のブログです。

アスペルガーは天才

あの偉人はアスペルガーだった…と、あちこちで話題になる。

神は二物を与えずなのか、アスペルガーだから偏って天才になるのか、なんなのか。

うちの主人もかなり天才肌だ。

どこが…ってはっきり言えないのだが、誰もが一目を置く。ただ、何を言っているか分からない時が多い。表現力の問題か?

美的センスにも秀でている。

私はきっとアスペルガーのそんな主人に惹かれたのだ。

 

ただ、たまに「そんなアスペルガーだからこそ好きになったんじゃないの?」と言われる事がある。事実なのだが、それを人から言われるのはとても嫌な気分になる。まるで「自分の責任でしょう?」と言われているように感じる。そして、そういう事を言う人は、アスペルガーの事をちゃんと理解しておらず、ネットか本で得た情報をただ知ったようなフリで言っている人が多いから、更に嫌な気分になる。苦しみを訴えても、跳ね除けられたような気持ちになる。

 

最近は、かなり発達障がいが世間に広く理解されて来ているが、まだまだカサンドラの事を知る人は少ない。

2ヶ月くらい前に、朝の情報番組「スッキリ」で三日間に渡り発達障がいについて特集していて、最終日はカサンドラ症候群についてだった。こうして知ってもらえる機会がとても嬉しかった。これからも少しずつでも構わないから認知度が上がりますように。

 

ひとつ気をつけないといけないのは、アスペルガーの人は、その人だけしか分からない理論の中で物事を考える。それにどんな偏りがあっても、本人にとってはそれは曲げられない。

主人と政治の話や、外交の話、政治家のお金の問題の話をするとすごくストレスが溜まる。なんて危険な思想の持ち主なのかと恐怖を感じるからだ。社会性の無さがこういう思考を生むんだろうなぁ…。私は比較的、口が立ってしまうので、お互い一歩も譲らない。

最近は、その危険な思想をなんとかしようと話していても意味がなくて、私のストレスが溜まるだけだと分かっているので、話を早めに別のすり替えるようにしている。

どれだけ間違っている主張をしていようと、それを、否定するとかは無意味に近いと思う。もちろん、その思いの強弱によっては、柔軟に対応してくれるかもしれないが。

本人には本人の世界があり、誰にも侵されたくない領域がある。それを否定されることは本人にとってとてもストレスがかかる。本人が本人の理論によって、導き出した答えを全面的に否定されるのは、本人を全否定されているのと同じ感覚なんだと思う。

そうか、そういう風に感じるんだね。

そう言うだけで良いんだろう。

 

でも!これは支援者だと出来る事である。

家族間、親しい間柄ではなかなか難しい。

だから、逃げるのだ。

他の話にすり替えるのだ。