四葉の日記

カサンドラ症候群の四葉のブログです。

胸が張り裂けるとは

私の車の中で、流れていた曲の歌詞の中に「張り裂けそうだよ胸が」という部分があった。

それを聞いていた主人が「胸が張り裂けるて…(失笑)」と反応した。

そういう所…そこが発達障がいですよね〜と言いたかった。

胸が張り裂けそうな体験をした事がないようで、こっちが胸が張り裂ける思いですわ。

それとも、障がい有無関係なく、男性だからか。

それとも、楽観的だからか。

それとも、運が良かったのか。

それとも、私が不運すぎたのか???

分からない(笑)

 

とある番組で雑誌dancyuの斬新な表紙を紹介していた。おにぎり特集では、表紙一面が海苔というものにしたそうだ。

編集者「どんなおにぎりなのかを想像させたい。どんな具なのか、どんなおにぎりなのかは見る人に自由に想像してもらい、雑誌の中身に興味を持ってもらいたくてこうしました。」

私(あ〜、想像するする!!私は鮭!!)

主人「は?いやいや、海苔は海苔でしょ。想像するのはこの海苔はどこ産だろう?くらいでしょ」

そういう所…そこが発達障がいですよね〜と言いたかった。

我慢した。というか、どこ産って!斬新!

 

社会の中で、そこが発達障がいだ!と切り捨てるのは簡単だが、そういう着目点があるからこそ、発達障がい者は天才や発明家が多いのだ。

海苔→中身は何だろう…と想像を膨らませる定型発達の人が大多数の中、

海苔→海苔→海苔…と注目を続ける定形外発達の人、そこから大発見が生まれたりするのだ。

自由な発想が無ければ、いまこの世に溢れる芸術作品、当たり前に使っている道具、方程式、常識は存在しない。

海苔→中身は…なんて意識を別の事に持って行ってしまうような定型発達のみの世界だったら、地球が丸いなんて誰も思いつきやしない。

 

胸が張り裂ける思いを知らないかもしれないが、思いがけない発見を続けていくのが定形外発達だ。

 

しかし、発達障がい(定型外発達)だから、胸が張り裂ける思いが分からない訳ではない。

以前も書いたと思うが、私は過去、カサンドラ症候群自助グループで、発達障がい当事者の男性から話を聞く機会があった。

その方は離婚を経験して「初めて胸が張り裂けるという経験をしました」と語った。それまではそんな感情があるなんて知らずに生きてきた。大切に思っている人を失う事がこんなに辛いのか…と知ったようだ。

さらに彼は「今では、となりのトトロを見て泣けるようになりました(笑)」と語った。

私にはこれが衝撃的だった。

私は、障がいだから…出来なくて当たり前…と決めつけていた事に気付かされた。

「他に共感する」これが出来るのは既に発達障がいの定義から外れるように感じる。

もちろん障がいの特性にはムラや強弱はある。それでも、この「他に共感する」は難しく、ここから派生する特性が沢山ある。そのメインとも言える特性が、経験によって定型発達と変わらない状態になったのだ。

 

障がいだから出来ない。

障がいだから仕方ない。

それは違うのだ。

胸が張り裂ける思いを知る日は来るし、他に共感する日も来る。