否定
元KARAのハラさんが亡くなった。
特にすごいファンだった訳ではなかったが、可愛いなぁ…と思っていた人。
死因は、現時点でははっきり発表されていないが「自分を愛せなくてごめんね」というメモが見つかり、自殺の可能性が高く、司法解剖はされない見通しとのニュースを見た。
過去、自殺未遂をしているハラさん。きっとどうしようもなく辛かったんだろう。
彼女がどんな辛い目に遭っていたのかは、きっと誰にも分からないだろう。人の受け止め方はそれぞれだし、ストレス耐性もそれぞれだ。でも、きっと辛かっだろうと推測することは、誰にでも出来た事だと思う。
なぜそんな彼女をあそこまで追い詰めたのか、それは、名前も顔も分からない不特定多数の心無い書き込みだっただと言われている。
人は、どうしてこうも、他人を無意識に攻撃するのかといつも思う。中には、日常では攻撃的ではない人も多いだろう。
溜まったフラストレーションを撒き散らす様に、ぶちまける様に。人を否定する事で、あやふやで不安定な自分の存在を、正しいものだと確かめている様に感じる。
人を追い詰める事で、追い詰められた自分を慰めているみたい。
誰かを否定しても、何も分からないのに、怪しい薬の様に、それを乱用する。
現実世界ではない、インターネット上であるからこそ、それが更に顕著になるのだろう。
世の中は年々、そんな殺伐とした雰囲気が強くなっている気がする。
疲れやストレスから、不安定な人間が増え、不安定な人間の中で過ごす事で、更に疲れやストレスを溜めていくループだ。
例えば、あなたの大切な人が、こんな風に攻撃されたらどう思いますか?そう尋ねてみたい。その辺りを、みんな想像しているのだろうか。否定される悲しさや寂しさや痛みを知らないはずがない。
言葉は時に暴力になる。
たった一言。それで命を奪うこともある。積み重ねで追い詰めてしまう場合もある。時間差で何年間も追い詰め続けてしまう場合もある。積み重ねの最後の一つになってしまう場合もある。
発達障がいの方は、鬱や不眠に悩まされる方が多い。
それは「みんなと違う」という理由で弾かれ、居心地の悪さを常に感じ、時にはイジメの対象にもなる。そして、フラストレーションの捌け口にされるという場合もあるだろう。発達障がいの二次障がいとして精神的な病を発症する。
「みんなと違う」それだけで、否定され続けるのだ。
マジョリティが正しい、マイノリティが間違い、そんな考え方がないか、もう一度考えるべきだと思う。
それぞれが違っていい。そこに正しいも間違いもない。
前述した、ハラさんの訃報を聞いて、この事を思わずにはいられなかった。
今回の件で、少し慰めになったのは、自殺を否定するような、それを咎めるような意見が表に出なかった事だ。少なからずそういった意見の人はいる。もちろん、大切な命を…と言いたくなる気持ちは分からないでもない。でも、それを選択するしかないほど、追い詰められ、辛い思いをした人に説教は、少し悲しいなと思う。人の気持ちを慮れる人が一人でも多くなる事を心から願っている。
彼女に伝えたいのは、
頑張ったね、辛かったね、ひとりぼっちで寂しかったね、耐え続けたよね、どうか、これからはそんな思いをせず、安らかに過ごして下さい。